無料ブログはココログ

チーム・近隣アジアを知る

2018年10月 8日 (月)

「人と歴史が交錯する台湾―少しディープな台湾案内」 14

台湾原住民族ツォウ族の村・來吉部落
―生活に溶け込むアート・ものづくり
 
くらし学際研究所・チーム〈近隣アジアを知る〉
                 垂 水 英 司
 
  原住民族の人たちは、もの作りがとて も巧みだ。かれら14_2の絵がいい。そして歌も 素晴らしい。その創造の源泉は、彼らの血 肉に宿る自然と共に暮らしてきた遺伝子 ではないか、と思う。…
 台湾の友人の車でくねくねした山岳道 を 1 時間以上辿ってやっと到着した。い きなり大きな岩に彫られた赤いイノシシが出迎えてくれる。イノシシは来吉部落のシンボ ルということだ。 …

(全文は181008.pdf」をダウンロードしてお読みください。


2018年9月10日 (月)

「人と歴史が交錯する台湾―少しディープな台湾案内」 13

戦争と平和紀念公園を訪ねる・高雄市旗津 ― 台湾人は、何のため、誰と戦ったのか

                くらし学際研究所・チーム〈近隣アジアを知る〉
                                                    垂 水 英 司

高雄港のすぐ前面…の細長い島…旗津の中ほどに、戦争とPhoto
平和紀念公園がある。
…主題館に近づいていくと、入口 横の壁面に描かれた3人の若い兵士たちが、どこか虚ろな眼差しをじっとこちらに向けている。私たちに何かを訴えようとしているかのようだ。
 この3人の兵士は、台湾籍日本兵、台湾籍国軍兵士、台湾籍解放軍兵士である。彼らは何者か、そしてその眼差しを理解するには、 会館に入って資料をみなければならない。…

 (全文は「180910.pdf」をダウンロードしてお読みください。

2018年7月13日 (金)

「人と歴史が交錯する台湾―少しディープな台湾案内」12

エコロジーを軸に村再生・桃米村
       ― 「何もない」を逆手に取る  

くらし学際研究所・チーム〈近隣アジアを知る〉
                          垂水英司
12
 ここは桃米村、南投縣埔里鎮にある小さな農村である。1人の若い男性がカエルを手に都会か らやってきた子供たちに解説している。 食い入るように見つめる子供たち。男性 は民宿「緑屋」の主人、邱富添さんだ。 彼はカエルの生態解説員でもある。…

全文は「12.pdf」をダウンロードしてお読みください。

2018年6月22日 (金)

「人と歴史が交錯する台湾―少しディープな台湾案内」11

921「大地が裂けた」現場・石岡ダムほか
  ―車籠埔断層が露頭した事例をみる

くらし学際研究所・チーム〈近隣アジアを知る〉
                                    垂水英司
11
「大地が裂けた!」
921 地震によって断裂した断層を目撃すると、誰しも自然の脅威を生々しく実感できる。…
 1999 年 11 月、台湾内政部営建署の要請で台湾を訪れた時、まず案内してもらったのが高 低差 10 メートルの断層のずれが目視できる石岡ダムであった。… 現場に到着すると、ダムの北端に近い部分が大きく破壊されていた。ダムの堤体は完全に なくなり、堤体の上を走っていた河川両岸を結ぶ連絡道路の路盤は複雑に変形して河川内 に落下している。…

   全文は、「11.pdf」をダウンロードしてお読みください。

2018年6月12日 (火)

「人と歴史が交錯する台湾―少しディープな台湾案内」 10

嘗ては邵族が主人公だった・日月潭
―手作りによる自力再建を支援する建築師 

       くらし学際研究所・チーム〈近隣アジアを知る〉
                                        垂水英司 

…921 地震によって邵族の
住まいは10大きな被害を受けた。地域の役員は… 謝英俊建築師に再建の支援を求めた。早速謝英俊は、…すぐさま自力更生に よる復興方式を提起した。 彼…は、原住民の伝統材料の竹、あるいは軽 量鉄骨など回収可能な材料を組み合わせ、… 「協力造屋」(みんなで住まいを作ろう)というプロジェクトが始まった…

全文は「10.pdf」をダウンロードしてお読みください。

 

2018年6月 6日 (水)

「人と歴史が交錯する台湾―少しディープな台湾案内」 9

タイヤル族伝統織物の再興・象鼻部落
       ―尤瑪‧達陸(ユマ・タル)のたゆまぬ挑戦
 
          くらし学際研究所・チーム〈近隣アジアを知る〉
                                                     垂水英司

9…921地震は尤瑪(ユマ)にとっても大きな転機となっ た。部落は土石流で部落産業だった甘柿が被害 を受けるなど、村民の生活も打撃を蒙った。…村の伝統織物を単 に文化という側面だけでなく、部落復興、生活 経済という側面からとらえるべきではないか。 …材料の栽培、織物技 術の教育・訓練、技術の開発・研究を部落産業にしていくことに眼を向け始めた。…

 全文は「180606.pdf」をダウンロード
してお読みください。

2018年5月29日 (火)

「人と歴史が交錯する台湾―少しディープな台湾案内」 8

Gaga に学ぶ「部落共同厨房」・達観部落
―部落支援 13 年の実践を経て新段階へ



    くらし学際研究所・チーム〈近隣アジアを知る〉
                                               垂水英司   

8_4 …921 地震が発生すると、… 彼(黄盈豪)はまず達観部落でフィールド調査を始めた。そこで聞いた部落の老人たちの話の中で、 たびたび語られる Gaga というタイヤル族の祖訓に注目した。…Gaga はかつての部落に息づいていた伝統的な価値観、一言でいえば「分かち合い」の精神だ。…最も簡単な「食べ る」ということから出発して、かつての「共食共享 (共に食べ共に楽しむ)」というメカニズムを回復 したいという夢だ。 …

  エッセイ全文は、「180529.pdf」をダウンロードしてお読みください。

2018年5月22日 (火)

「人と歴史が交錯する台湾―少しディープな台湾案内」 7

タイヤル族発祥村「天空の城」・瑞岩部落
  ―921 震災後 12 年、ついに村落移転実現!


     くらし学際研究所・チーム〈近隣アジアを知る〉
                                                垂水英司  Photo_2
…車は、前方に突き出た山裾に沿い右にカーブを切って走っていくと、突然左前方の丘の上 に小さな集落が現れた。「あれが瑞岩です!」と顔新珠さん。周りを薄もやのかかる山々で 守られるように、小さな丘が鎮座している。その頂上に 100 戸ほどの民家が今にもこぼれんばかりに蝟集している。…
   全文は、「180522.pdf」をダウンロードしてお読みください。

2018年5月14日 (月)

「人と歴史が交錯する台湾―少しディープな台湾案内」 6

外省人の密集コミュニティ・台北寶藏巖地区
             ―国際芸術村に再生させる実験
 
          くらし学際研究所・チーム〈近隣アジアを知る〉
                                           垂水英司 6
……一度訪ねた いと思っていた私は、台北で時間のゆとりができた時、アポイントもなしに訪ねてみた。 (2014 年) 寶藏巖の寺院の境内をぬけると、すぐに集落に入る。くねくねとした狭い坂道や急な階段 に沿って、いかにも急ごしらえのような小さな家が、重なるように建ち並んでいる。先へ進んでいくと、ふとアーティストの工房に突き当たる。街角には彫刻や工芸品が置かれている。 少し広い広場にでると、たくさんの竹を吊り下げた大きなインスタレーション(アート展示)に出会った。 
1960~1980 年という比較的最近形成された市街地、それも違反建築で形成された問題市 街地を、「歴史街区」として位置付けたことの意味を考えさせられた。そして「アートとの結合」がどのような効果を生み出すのだろうか。いずれにせよ、大いなる実験であることは 確かだ。住民、行政、専門家、あるいはアーティストの中で、どのような議論があったのだ ろうか。同じような密集市街地を抱えている我が国からも、寶藏巖國際藝術村の実験の経過を大いに注視したいものだ。……
 全文は、「180514.pdf」をダウンロードを開いてお読みください。

2018年5月 8日 (火)

人と歴史が交錯する台湾―少しディープな台湾案内 5

旧日本航空隊基地の官舎群・岡山楽群村
              ―消えゆく「眷村」をどう残すか


         くらし学際研究所・チーム〈近隣アジアを知る〉
                             垂水英司

.5_3...,,,,ところで眷村とは何か。1945 年戦争に敗れた日本が台湾を去り、代わって中国大陸から行政長官や国軍が台湾に入った。その後国共内戦に敗れた中華民国政府は、1945 年末大陸 を撤退して逃れるように台湾へ移った。1945 年から 1950 年の間に、大陸から台湾に移住してきた外省人は、軍隊や政府関係者及びその家族などを含め、およそ 200 万人といわれる。 そのための住宅確保は大変だったであろう。彼らは日本人宿舎の転用、あるいは政府や民間 が急ごしらえで建設した住宅などに住んだ。これが「眷村」といわれるコミュニティだ....
  全文は「180514.pdf」をダウンロード
してお読みください。