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2017年12月

2017年12月13日 (水)

くらし学際研究所2018年1月月例会・公開講演会のお知らせ

 1月22日(月)午後6時から、神戸市勤労会館409号室で、月例会・公開講演会を開きます。講師は、関西学院大学法学部教授の冨田宏治さん、「衆院総選挙の結果と改憲阻止の展望」と題して、お話しをして頂きます。

 冨田さんは、この総選挙が『オセロゲーム』のような展開になぜなったのか、その対抗軸の本質はどこにあるのかを解明し、国民投票や次期国政選挙で市民と野党の共同を追求する勢力が勝利を勝ち取るために何が必要なのかを論じます。1
 チラシは

「18.1月.pdf」をダウンロード

すると、見やすくなります。 
 どなたも参加頂けます。このブログのコメント欄を通じてか、090-4566-8745(落合)にお申し込み下さい。参加費は500円です。

2017年12月 8日 (金)

2017年11月 月例会・公開講演会の報告

Img_2602  2017年11月27日、くらし学際研究所は神戸市勤労会館で、公開講演会を開いた。演題は「核兵器禁止条約―核兵器廃絶へ!」、副題は「核兵器のない世界への第一歩」である。講師は原水爆禁止兵庫県協議会事務局長の梶本修史さん。司会は当研究所世話人の川口稔さん。当研究所事務局長の落合淳宏さんの紹介に続いて、講師の梶本さんは、1948年尼崎生まれ、県立神戸商科大学卒と自己紹介して早速演題に入った。大要は以下のとおりである。

1.広島・長崎で起こったこと
(1)4つの被害
 原爆投下の当日、1945年8月6日(広島)、8月9日(長崎)、当日の広島市の人口約35万人。45年末までに14万人死亡。長崎は7万4千人死亡。
①熱線…1万分の1秒・直径28m・摂氏数百万度。1秒後・直径280m・5千度。爆心地から2キロで衣服燃える。溶鉱炉で約1500度と言われているが、原爆による「死者の60%は生きながらに焼かれた」。
②衝撃波・爆風…爆心地数十万気圧。マッハ効果。秒速440m。爆心地から1.8キロの距離で秒速72m、1㎡10トン。
③放射線…直接被爆、残留放射線被害
④心
(2)核兵器の特徴
①奇襲瞬間性、②無差別大量性、③全面性、④人間全否定性、⑤持続拡大性
 核兵器は通常兵器と異なり、人命だけでなく、建築物、生物すべてのものを破壊する。そして、その被害は何年も続く。原爆投下後の死亡で「行方不明45%」と言われているがそれは遺体そのものが確認できない。原爆と普通の爆弾との違いは、放射線による遺伝子の損傷があり、放射線被害は72年後の今も続いている。原爆の被害者、被爆者(被爆者援護法で定められている者)は2017年3月末で全国164,621人、兵庫県3,383人もいる。被爆から72年経っても16万人以上の被爆者が苦しみながら生き続けている。
(3)原爆を「新型爆弾」と称して被害の深刻さを国民に知らさなかった日本政府と米軍、GHQ
 米大統領トルーマンの「原爆投下声明」を傍受した日本軍と政府は原爆であることを確認するため理化学研究所の物理学者仁科芳雄博士を含む調査団を広島市に派遣。陸軍と海軍も各地の大学から物理学者や医学者など専門家調査団を派遣し調査にあたらせた。この調査結果に基づいて、アメリカに対して、原爆投下は国際法に反すると抗議。その一方で国民には、戦意喪失を恐れ、原爆を「新型爆弾」と称して原爆被害の深刻さを知らせない方針を取った。こうした日本政府の対応の間に、2発目の原爆が長崎に投下された。
 原爆投下直後の1945年8月11日日本政府は次のような抗議声明を発表した。「・・・・従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性残虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり。帝国政府はここに自らの名において米国政府を糾弾すると共に即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す。」
 原爆の投下直後9月3日、5日に広島を取材したウィルフレッド・バーチェット記者らは、「・・・・広島では人々が、あのような惨禍によって怪我を受けなかった人々でも、『原爆病』としか言いようのない未知の理由によって、未だに不可解かつ悲惨にも亡くなり続けている」、などと『デイリー・エクスプレス』や『ニューヨーク・タイムズ』で報じている。ところが、マンハッタン管区調査団指揮官のトーマス・ファーレル准将は9月9日の東京での記者会見で、「広島・長崎では、死ぬべき者は死んでしまい、9月上旬現在において、原爆放射能で苦しんでいる者は皆無だ」と、事実を否定した。
 さらに、GHQは原爆使用の非人道性を国際的に知られることを恐れ、45年9月19日、原爆に関する報道・文学は検閲により厳しく制限し、被爆調査に関する発表も事前に許可を取ることを要求し、事実上発表を禁止した。これらの措置によって、原爆被害の実相は世界に伝わらなかった。

2.核兵器開発を進めたアメリカとソ連の核競争激化、核戦争の危険が19回も
(1)激化する原水爆実験
広島への原爆投下によって、各兵器の威力を知ったトルーマン米大統領は1947年7月、原爆製造再開を命じ、48年6月までに原爆50発を保有することになった。さらに、1950年3月、水爆製造に着手した。アメリカの核兵器独占に対抗してソ連も1949年8月29日に核実験成功、核兵器開発へ突き進んでいった。
使える戦術核兵器の開発を進めてきたアメリカは、1950年11月30日に朝鮮戦争での原爆使用に言及した。1947年6月時点で13発の保有であった原爆は、55年2422発、59年~60年は年産7000発、62年27100発、66年には32300発に達した。ヒロシマ型原爆の1200倍(第2次世界大戦で米国が使用した爆弾の8倍)の威力を持つ水爆の実験を52年11月1日に米国が、翌53年8月12日にソ連が行った。米ソの核競争は激化し、ソ連は1957年8月に大陸間弾道弾(ICBM)飛行実験に成功、同年10月には人工衛星・スプートニク打ち上げ成功。米国に追い付き追い抜いた。
1954年3月1日、アメリカは、マーシャル諸島のビキニ環礁で「ブラボー」と名付けた水爆実験を実施。住民や周辺海域の漁船992隻の日本人乗組員らが被爆。放射性物質「死の灰」が世界中に降り注いだ。静岡県焼津市のマグロ漁船、第5福竜丸の23人も被爆し、半年後に無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)が死亡した。アメリカは世界122か所で広範な影響調査を行い、アメリカ西海岸、グアム、青森県三沢、沖縄、広島、長崎などでも影響が観測された。
(2)核戦争の危険が19回も
 アメリカは冷戦時代にソ連「封じ込め」戦略から「大量報復」戦略に転換した。53年末米国のアイゼンハワー政権は、「ソ連攻撃に600~700発の核爆弾を使用。ソ連を2時間で灰と放射能で覆われた廃墟にする」「118都市の人口80%、6000万人を殺害する」などと宣伝した。
 その後、1961年1月、米ケネディー政権は「柔軟反応」戦略に転じ、「限定核戦争」構想(キッシンジャーの提唱)に基づく、「部分的核実験停止条約」(63年8月)、核兵器独占体制づくりのための「核不拡散条約」(NPT)(68年調印)締結へ進んだ。これらは、「核抑止戦略」により、「国家として再び存立しえない程度の破壊」、「壊滅的破壊」を避けようとするものである。何故なら、国家の存立自体を危うくする「核戦争」に至る危険が19回も発生したからである。

3.原水爆禁止運動のはじまり
(1)核兵器独占と米ソ冷戦
米国の核兵器独占が続く中、1947年から米ソ冷戦が顕在化した。1949年4月、パリとプラハで同時に同じ議題で世界平和大会が開催された。これは、原子兵器の廃棄が実現しないことへの危機感からであった。ところが同年8月29日にソ連が核実験に成功、米国の核兵器独占に終止符が打たれることになった。世界平和大会で設置された世界平和評議会は、1950年3月、スエーデンのストックホルムで開催された第3回委員会で、「原子力兵器を無条件に禁止すること、それを保証する国際管理を確立すること、最初に原子兵器を使用する政府を戦争犯罪人として取り扱うこと」を訴える署名運動の展開を決議した。これが有名なストックホルムアピールである。この署名運動は、同年6月に始まった朝鮮戦争を背景に、たちまち世界的な支持を得て同年11月には署名総数5億人に達した(兵庫県内では15万8千人、日本全体では645万余人)。この署名の影響力は大きく、朝鮮戦争でのアメリカによる原爆使用を阻止するとともに、後の日本における原水禁運動の源流となった。(事務局注:ストックホルム大会の開催4か月後の1950年7月11日にGHQのてこ入れで作られた日本労働組合総評議会、略称「総評」が平和運動に注力する方針転換の契機となった)。
(2)国内外の核兵器禁止運動の高まり
 米ソの核軍拡競争の激化と共に世界的な原子力兵器禁止の運動も高まりを見せていた。そのような時期に、1954年3月1日に米国がビキニ環礁で行った水爆実験は我が国世論にも大きな怒りを巻き起こした。抗議の運動が各地で多様に取り組まれた。東京築地の「魚屋大会」、焼津市議会をはじめとする全国的な自治体決議、平和集会や市民大会、自発的な署名運動、などである。全国でも一番早い「草の根」の取り組みだと思われる「芦屋あすなろ友の会」の署名の取り組みがある。これは、広島で身重の身体で被爆した副島まちさんが移り住んだ芦屋市で参加した、主婦たちが作る「芦屋あすなろ友の会」の署名活動である。その署名を携え、1955年8月6日に広島で開催された原水爆禁止世界大会に、副島さんは「会」を代表して参加した。その後、被爆者救援の「1円募金」を始めるなど原水爆禁止の運動に終生取り組んだ。
1954年8月8日、全国各地で取り組まれている署名を集約し、「署名に表れた日本国民の総意を内外に伝え、原水爆禁止に関する世論を確立する」ことを目的に「原水爆禁止署名運動全国協議会」が作られた。1955年8月6日に広島市で開催された第1回原水爆禁止世界大会で、8月3日までの集約分として3158万3123筆が報告された。この数字は当時のわが国の有権者数の半数に迫るものであった。世界大会から1か月後の9月19日、世界大会準備会と署名運動全国協議会は統合して、原水爆禁止日本協議会(日本原水協)が結成され、その翌年1956年8月9日に、日本原爆被害者団体協議会が結成された。
日本で取り組まれた署名運動は世界的にも広がり、全世界で6億7000万人に達した。1955年7月9日、ロンドンでノーベル賞受賞者らが連名で、ラッセル・アインシュタイン宣言を発表した。アインシュタインはこの発表の3か月ほど前に亡くなっており、アインシュタインの「遺言」とも言われるが、宣言では、人類と核兵器の危機的な関係を直視し、東西の立場を超えて人類の生存の問題としてともに核兵器廃絶に踏み出すことが訴えられた。この宣言の署名者には日本から、ノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹博士が名を連ねている。
このような核兵器廃絶に向けての内外の動きの中で、日本では54年6月、防衛庁設置法、自衛隊法が成立し、7月には自衛隊が発足した。このとき国会では、「自衛隊の海外出動禁止決議」がなされ、「本院は、自衛隊の創設に関し、現行憲法の条章と、わが国民の熾烈なる平和愛好精神に照らし、海外出動はこれを行わないことを、茲に改めて確認する 右決議する」(参院本会議 1954年6月2日)と、全国各地で取り組まれた原水爆禁止「3000万署名」の影響を受けた内容となっている。

4.「核兵器廃絶」が国際政治・平和運動の中心課題になるまでの苦難の道
(1)核兵器国と非核兵器国
第2次大戦後、米ソ中心の軍事ブロック対抗で5万発の核兵器独占体制が作られた。そのような中で、1963年部分的核実験停止条約が成立。1968年調印、70年発効でNPT(核不拡散条約)が締結された。現在の締結国は190か国。未加盟国はインド、パキスタン、イスラエルの「核保有国」である。
 NPTは「核兵器国」(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国)の核保有を認めると共に、非核兵器国の核保有を禁止するものである。本質的には「核兵器国」の特権を認める不平等条約である。ただし、「核兵器国」にも「誠実に軍縮交渉を行う義務」を課している。しかし、1980年代半ばまでは、「核兵器廃絶」は、国際政治でも世界の平和運動でも「夢物語」「理想論」と取り合われなかった。
(2)世論が事態を変えた
 1985年2月、12カ国の代表により「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」国際署名が提唱された。内容は次のとおりである。
 「核兵器の使用は、人類の生存とすべての文明を破壊します。核兵器の使用は、不法かつ道義にそむくものであり、人類社会に対する犯罪です。
 人類と核兵器は絶対に共存できません。
 いま世界各地でおこっている核戦争阻止のための有効な諸活動の発展とともに、国際的な共通の課題として、核戦争を廃絶することは、全人類の死活にかかわる最も重要かつ緊急のものとなっています。
 広島、長崎の地から、私たちは被爆者とともに、そしてもはや帰らぬ死者たちにかわって訴えます。
 第二のヒロシマを、第二のナガサキを、地球上のいずれの地にも出現させてはなりません。
 いまこそ私たちは、核兵器全面禁止・廃絶を求めます。」
 この署名の取り組み当初は、広島市長、長崎市長も署名は拒否、世界平和評議会で取り組みを提案したが、中心幹部がこぞって反対した。しかし、草の根からの署名の取り組みは前進し、全国の自治体でも非核宣言自治体は1980年10自治体程度が、87年1377,90年代には2400以上の自治体に拡大した。これは、自民党が『「非核都市宣言」は日本の平和に有害です』などとパンフ発行するなどの妨害の動きの強い中での前進である。また、ニュージーランドで87年6月に「非核法」が成立、同年の「世界大会」で「平和の波」運動が提起されるなど運動は内外で大きく前進した。
 「ヒロシマ・ナガサキからのアピール署名」は、90年に兵庫県で県民過半数・神戸市民過半数など達成、各地で国民的規模の取り組みが広がった。2003年9月には日本国内で6000万筆を達成した。
(3)初めて「核兵器廃絶」が国連の課題に
 「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」国際署名の取り組みなどの国際的世論の広がりは、国連の課題に取り上げられるようになった。
 92年、非同盟諸国首脳会議が「期限をきった核兵器廃絶が優先課題」と方針を決めた。翌93年WHO,94年国連総会が、「核兵器の使用や威嚇は国際法のもとで許されるか」の裁定を国際司法裁判所に提訴することを決議。93年10月、兵庫県からも参加した代表団が署名4300万(目録)を国連に提出。この国連総会で、非同盟諸国が核兵器廃絶決議案を初めて国連提案(米圧力で採決取り下げ)。94年には「期限をきった」廃絶決議を採択。日本政府は「究極的廃絶」決議で国際世論に対抗した。

5.NPTを舞台に核兵器国との攻防
(1)NPT延長に条件(5年ごとに再検討会議を行う)
 1970年発効のNPT(核不拡散条約)が25年の期限を迎え、米国などは無期限・無条件延長を主張した。これに対し、非同盟諸国などはNPTの終了、核兵器廃絶を主張して対立した。日本は米国の意向を受け、ODAを悪用し「無期限・無条件延長」を画策して各国を工作した。結局、1995年のNPT無期限延長後、5年ごとに再検討会議を行うことで決着。2000年以来、「再検討会議」が核兵器廃絶への重要な政治舞台になった。NPTの不平等性への批判が原動力であり、新アジェンダ連合諸国、非同盟諸国の奮闘が大きな役割を果たしている。これは、非核兵器国政府と世界諸国民の連帯の成果でもある。
(2)核兵器の完全廃絶を明記
 2000年NPT再検討会議の最終文書は(NPTは全会一致制)、「第6条のもとですべての締約国が責任を負う核軍縮(nuclear disarmament)につながる、自国核兵器の完全廃絶を達成するという全核保有国の明確な約束」を明記した。これに対し、「究極的核兵器廃絶」決議案を提案し続けてきた日本政府は、「2階に上がってはしごを外された」と嘆きの言葉を残している。日本政府が国連総会で数年間にわたって旗を振ってきた「究極的」核廃絶決議の使命は終わったので、今後は核軍縮・不拡散の推進に役立つ決議を模索していかねばならない。
 また、NPT再検討会議と同時期に国連は、世界のNGO代表による「ミレニアム・フォーラム」を招集し、「21世紀の国際社会のあり方」について新しい方針を諮問した。
 フォーラムの6つのメインテーマは次のとおりである。
①平和・安全と軍縮、②貧困の撲滅、③人権、④持続可能な開発と環境、⑤グローバル化の挑戦への対処、⑥国連と国際機関の強化・民主化。
 政府の行動に関する勧告、国連に対する提言、及び、市民社会自体が取り組むべき行動という、3つの主要分野に分けられているテーマについて論議を行った。ミレニアム・フォーラムでは、市民社会(NGO)について、「21世紀には『ピープルパワー』があれば、世界中のあらゆる人々のために国連憲章を役立たせることができるという希望を我々に与えている」などと高く評価するコフィ・アナン事務総長(当時)の基調報告が行われた。そして、「最終宣言」は、非核「神戸方式」、憲法9条の適用も世界の政府に勧告した。国連の方針になったのである。
 2000年末の国連ミレニアム総会でも「核兵器廃絶」について、NPT再検討会議と同様の合意が行われた。21世紀から日本原水協が提起し、「今、核兵器の廃絶を」「速やかな核兵器の廃絶のために」「核兵器のない世界を」「核兵器全面禁止のアピール」など、一連の国際署名で取り組んだ6000万に達した署名を2000年10月、国連に提出。これらの取り組みの成果、2001年から非同盟諸国、新アジェンダなど政府代表が世界大会に出席し、共同が強まっている。2002年2月の非同盟諸国首脳会議に日本原水協が正式のゲストとして招待された。2008年世界大会には政府代表とともに、国連代表(デュアルテ・国連軍縮担当状況代表)が正式参加。
(3)「核兵器国」アメリカの妨害などがあっても前進、核兵器の非人道性告発
 2001年に登場した米ブッシュ政権は、京都議定書やNPT再検討会議などの国際合意をことごとく無視、破棄。2005年のNPT再検討会議は日本から1000名(うち原水協800名)の代表団を派遣し、500万署名と1200の自治体首長署名を提出したが、ブッシュ政権の妨害で議題も決められず閉幕。
 2010年NPT再検討会議は、兵庫県から60人を含む1600人以上の大代表団が約700万の署名を提出して参加。2000年再検討会議の「核兵器廃絶の明確な約束」を再確認、「核兵器のない世界の平和と安全」のために、「特別の努力」をあ傾注することを確認。パン・ギムン国連事務総長提唱の「核兵器禁止条約」に「留意」することとした。また、「最終文書」は、同時に、「核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道的結果をもたらすことに深い懸念」を表明。ここでの「深い懸念」は後に生きる重要な意味を持つものとなった。
 2010年NPT再検討会議合意を受けて、核兵器は非人道的な兵器との側面から廃絶を追求する新しい取り組み(「非人道的アプローチ」)が始まった。
 2011年 国際赤十字及び赤新月社運動代表者会議
       「核兵器の使用に起因する計り知れない人間の苦痛と国際人道法との関係を強調する決議」採択
 2012年4月 NATO加盟国を含む16カ国、非同盟諸国、新アジェンダ連合諸国
       「核兵器のいかなる使用も壊滅的な人道的結果をもたらすことに深い懸念」との共同声明
 2012年10月 34か国+バチカンが国連総会で、上記内容の決議に賛同。
  日本政府は、これらについていずれも賛同拒否の態度を取った。
 2013年3月 核兵器の人道的影響に関するオスロ会議
         ノルウエ―のオスロで2013年3月3~4日、「核兵器の人道的影響に関する国際会議」が開催され、127カ国政府、国連、国際赤十字、世界のNGOが参加。第2回メキシコ会議には146か国、第3回(2014年12月8~9日はオーストラリアのウイーンで158カ国が参加。
 2013年10月21日 国連総会第1委員会
        「核軍縮の人道的側面に関する共同声明」発表。内容は、①核兵器の非人道性を懸念、②「いかなる状況下でも核兵器が二度と使用されないことが人類生存の利益」、③「核兵器が再び使用されないことを保証する唯一の方法は核兵器の廃絶だ」、④すべての国に核軍縮を達成する共通の責任がある、などとするものである。この共同声明には125カ国が賛同し、日本政府もようやく参加した。

6.核兵器禁止条約へ向けて前進
(1)NPT再検討会議から国連総会の場へ
2015年のNPT再検討会議は、日本から1000人(兵庫県49人)の代表団が約700万の署名を提出。メキシコ、新アジェンダ、非同盟諸国などとともに核兵器禁止条約の交渉開始を厳しく要求した。5月8日に示された「最終文書」に向けた最初の素案は「法的枠組み。核兵器禁止条約などによる期限を切った核兵器廃絶」に初言及された。しかし、5月22日未明にフェルキ議長が配布した最終文書案には「核兵器禁止条約」の文言が消えていた。結局最終文書は採択されずに会議は終わったが、「作業部会」を設置することを国連総会に勧告する内容となった。これは、運動の前進を示す重要な「一里塚」となった。2015年国連総会は、賛成138、反対12、棄権34で「核兵器禁止条約の作業部会設置」を決議した。2016年に3回の作業部会を開催、同年の国連総会に「核兵器禁止条約の作業会議(国連会議)の開催」を提案。これに対し、核兵器国はボイコット、日本はじめ同盟国が代弁者になった。
2016年8月19日、賛成68、反対22、棄権13(日本は棄権)で、「国連総会への報告書」が採択された。報告書の主な内容は以下のとおりであった。
「多数の国は、核兵器を禁止してその全面廃絶へと至り核兵器のない世界を達成・維持するとの義務および政治的誓約とともに全般的禁止を確立する、拘束力を持つ法的文書についての交渉―すべての国、国際組織、市民社会に開放される―を2017年の国連総会において開始することを支持した」。ここでいう「多数の国」とは、アフリカ・グループ54か国、東南アジさ諸国連合10か国、中南米諸国共同体33カ国の諸国並びにアジア、太平洋、ヨーロッパの諸国から構成される国々のことである。
この他にも報告書は重要な内容が含まれている。それは、「国連総会において、すべての国家、国際機関、市民社会に開かれた形で、核兵器の完全廃棄につながるような、核兵器を禁止する法的拘束力のある文書の交渉を開始すること」、また、「そのような法的文書には以下が含まれる。a核兵器の取得、保有、備蓄、開発、実験、生産の禁止。b核兵器の使用における関与の禁止。C国家の領土における核兵器持ち込みの禁止。これには核兵器搭載船舶が港湾や領海に入ることを認めること、…・国家の領土内において核兵器の配置や配備を認めることが含まれる。・・・f核兵器の使用および実験の被害者の権利を認め、被害者への支援提供と環境修復を誓約すること」というものである。
さらに2016年作業部会の報告書は、「…核兵器の禁止のための法的拘束力のある文書交渉するため、すべての国家に開かれ、国際機関や市民社会が参加し貢献する会議を2017年に開催するよう勧告する」という厳しい内容であった。
(2)核兵器国の抵抗
 核兵器廃絶の国際世論が高まり、国連の場で論議される事態になり、2016年9月15日、核兵器保有5カ国(P5)は、「P5は、グローバルな戦略状況を無視した核軍縮のアプローチを追求することに深い懸念を表明した。そうした動きは、数十年にわたってNPT体制を強化し、国際的な安全保障へのNPTの貢献を強めるのに役立ってきたコンセンサスに基づくアプローチを脅かすものとなって、今後のNPT再検討会議におけるコンセンサスの見通しに否定的な影響を及ぼす可能性がある」と共同声明を発表した。
 更に、アメリカは、2016年10月17日、米国の同盟国に対して、「国連総会の核兵器禁止条約の防衛政策への影響」と題する書簡を送った。その内容は、「オープンエンド作業部会(OEWG)に参加した同盟諸国に対し、われわれは、核兵器禁止条約交渉開始に関する国連第1委員会でのいかなる票決においても「反対」の票を投じるよう強く促すものです」「禁止の提唱達は・・・・核兵器と核抑止に悪の烙印を押すことを主要な狙いとしたアプローチへと焦点を移すことを追求している」などとして、核兵器禁止条約に賛同しないよう警告した。もっと強い調子で、「米国はすべての同盟国・パートナー国に、核兵器の条約による禁止の交渉に、単に棄権するのでなく、反対票を投じるよう呼びかける。加えて、もし交渉が始まっても、同盟国・パートナー国はそれに参加することを見合わせるように要請する」としている。これはアメリカが、「NATOとアジア太平洋の拡大抑止のコミットメントを果たす米国の能力、及び米国や他の核兵器国との共同防衛作戦への同盟国・パートナー国の関与の直接影響を与えかねないものである」と軍事同盟への影響を最大限懸念したからである。
このようなアメリカを先頭にP5(核保有5カ国)の厳しい抵抗にもかかわらず、2016年12月23日、核兵器禁止条約「国連会議」の招集が決まった。この国連会議招集の決議にあたって、アメリカが必死に圧力をかけ、抵抗したが賛成113、反対35、棄権13で国連総会の招集は決まった。米国の圧力に対して同調したのは35カ国に止まった。

7.核兵器禁止条約が採択された
(1)歴史的、徹底した民主的運営
 2017年3月27日~31日、6月15日~7月7日、戦後の国際政治の上でも、文字通りの画期的、歴史的意義を持つ国連会議が開催された。
 参加国は115カ国以上、地域機構や純地域機構―アフリカ連合(AU)、アラブ諸国、中南米カリブ海諸国共同体(CELAC)、東南アジア諸国連合(ASEAN)などが参加。そのほかに、220以上の市民社会(NGO),国会議員、研究者なども同席、役割を果たした。被爆者、世界の核実験被害者の証言は、会議の道徳的、・倫理的な方向性を示した。
国連総会議長はコスタリカ(1949年に常備軍を廃止する憲法制定)のホワイト軍縮大使。初めて、各国政府と市民社会(NGO)によって構成された会議。大国が仕切る時代から各国対等の時代への前進を示すものとなった。最初は「白紙」の状態から第1会期で意見を出し合い、5月22日に議長が原案発表。第2会期で前文から順次検討する進め方であった。
ホワイト議長が原案発表を早期に出せたのは、1968年に発効した「ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約(トラテロルコ条約)の存在と非同盟諸国の運動の経験があったからである。
2011年3月、コスタリカも参加する中南米・カリブ海諸国共同体(CELAC)が発足し、「核兵器全面廃絶に関する特別声明」で「可能な限り早い期日に核兵器を廃絶する方途を確認するための、高級レベルの国際会議を呼びかける活動を行う」ことを宣言。更に、2011年5月、第16回非同盟諸国外相会議・非同盟運動50周年記念会合は、「核兵器の全面廃絶に関する声明」を発表し、その中で、「具体的な期限を区切り、世界的な核軍縮と核兵器の全面廃絶を実現するための具体的提案を、非同盟諸国が策定する」「核兵器廃絶の方法を明確化するための高官級国際会議の開催するために努力する」ことを宣言。
国連総会の会議初日(3月27日)、アメリカのニッキ―・ヘイリー国連大使は議場の外で、英仏など約20カ国の大使とともに並び、「国連会議」と核兵器禁止条約に対する異常な攻撃を行った。このとき、日本原水協などのNGOは各国政府とともに議場の中で議論に参加していた。米国などの一部大国が国連を仕切る時代が過ぎたことを象徴する場面でもあった。
なお、日本政府は会議冒頭の各国政府演説で、核兵器禁止条約への反対と交渉への不参加を表明、退席した。「核兵器保有国が不参加で核兵器禁止条約をつくる事は無意味」として退席した日本政府に対して、オーストリア軍縮大使は「それなら何故あんなに強く反対するのか。意味があるから反対するのではないか」と皮肉を込めて批判した。
(2)国連総会での攻防
 被爆者の発言から始まった会議の最終日、ホワイト議長は、「今週、われわれと一緒にいてくれた被爆生存者のみなさんに感謝しています。彼らは核兵器の非人道的な影響をわれわれに鮮明に思い起こさせてくれました」と熱い感謝を述べた。非同盟運動や新アジェンダ連合に加え、アフリカ、中東、東南アジア、カリブの地域代表が次々と禁止条約支持を表明。世界的な賛同の広がりを改めて印象漬けた。
 一方、米国は、「全加盟国に禁止条約に署名しないよう要請する」と露骨な敵対姿勢を表明、英仏は、「予測不能な安全保障環境が、見通せる将来のために核抑止力の維持を要求している」(英国)などと署名しないことを表明。ロシアも署名しないとし、各国に既存のNPT体制下での軍縮プロセスに従うよう要求。中国は、国際的な核不拡散体制が直面する深刻な課題の一つに、禁止条約の採択を上げるに止まっている。
 日本政府は、「核保有国と非保有国の間の協力と信頼の再構築が不可欠」と述べたものの、禁止条約の評価には言及してない。北朝鮮は「核兵器の完全廃絶という禁止条約の第1の焦点には賛同するが、核の脅威を北朝鮮にもたらす米国が条約を拒否しているため、北朝鮮は加盟する立場にない」と述べた。
 これらの各国政府の状況を見て、国連の中満軍縮担当上級代表(事務次長)は、禁止条約の推進派と反対派の双方に「分断の橋渡しをし、共通の考え方を生み出していきたいと思っている国がたくさんある」と指摘。保有国が条約に直ぐ入るのは困難だとしつつ、市民の運動の積み重ねが規範の普遍化に必ずつながる、と強調している。
(3)核兵器禁止条約の中身
①前文で、「ヒバクシャ」の取り組みを高く評価
 核兵器禁止条約は前文で、「…核兵器のあらゆる使用がもたらす破滅的な人道的結果を深く憂慮し、そうした兵器を完全に廃棄するという当然の必要―それはいかなる状況の下においても核兵器が二度と使用されないことを保証する唯一の方法であり続ける―を認識し…」、と人類を破滅に追いやる兵器としての認識を冒頭に強調している。更に、前文は「核兵器使用の被害者(ヒバクシャ)および核実験の被害者にもたらされた容認しがたい苦難と損害に留意し」、と「ヒバクシャ」が国際人道法の原則に違反する被害を受けてきたことを指摘している。そして、「核兵器廃絶の呼びかけに示された人道の諸原則を推進するための市民的良心の役割を強調し、またその目的のための国連、国際赤十字・赤新月社運動、その他の国際・地域組織、非政府組織、宗教指導者、国会議員、学術研究者、ヒバクシャの取り組みを認識し、以下のように合意した」と、「ヒバクシャ」の取り組みを高く評価した内容となっている。
②抜け穴を許さない
 条約は、第1条で核兵器にかかわるあらゆる活動を禁止し、「抜け穴」を許さないものとなっている。
第1条 禁止
(a)核兵器の開発、実験、生産、製造、取得、保有、貯蔵
(b)核兵器の移転 (c)核兵器の受領 (d)核兵器の使用、又は使用の威嚇、(中略)
(g)自国の領域または自国の管轄もしくは管理の下にあるいかなる場所においても、核兵器を配置し、設置し、又は配備することを許可すること。
 「核兵器の使用、または使用の威嚇」の禁止条項は、当初の原案には無かったものである。これは、会議参加国の真摯な交渉の成果であり、「核の傘」の下にある国への配慮でもある(「核の傘」に依存する必要がなくなり、離脱が可能になる)。そして、核兵器を保有する最大の根拠とされる「核抑止力」論を否定するものであり、核保有国が「核抑止」政策を見直すこと、同盟国がこれに依存する政策を放棄すること、「核の傘」から離脱することを求めるものである。
③核兵器廃絶の道筋を示す
 「核兵器の全面廃絶につながる、核兵器を禁止する法的拘束力のある協定について交渉する国連会議」というタイトルが示すように、国連の会議は、核兵器の法的禁止、非合法化を先行させ、完全廃絶につなげるという、「核兵器のない世界」というゴールを可視化させるものとなった。実際の条約条文には、第4条に、核兵器保有国・同調国の条約への参加の道を規定し、核兵器完全廃絶への枠組みを示している。
 そして、条約の制度的取り決めとして第8条に、2年ごとの「締約国会合」、6年ごとの「検討会議」、締約国の3分の1以上の要請がある場合の「臨時会議」が規定されている。
 また、この条約国の締約国ではない国、並びに国連の関連組織、その他の関連の国際組織または機関、地域組織、赤十字国際委員会、国際赤十字・赤新月社連盟及び関連の非政府組織は、締約会議と検討会議にオブザーバーとして参加するよう招請されることも規定されている。
④被害者援助と環境回復
 この「核兵器禁止条約」成立のために大きな貢献をした、「ヒバクシャ」や核実験被害者への援助を行う責任も条文に明記され、被爆国、被害国の国民の切望に応えるものとなった。
 第6条 被害者援助と環境回復
1.締約国は、核兵器の使用まあは実験によって影響を受けた、その管轄下にある諸個人に関し、適用可能な国際人道法および国際人権法に従って、医療、リハビリテーションおよび心理的な支援を含め、年齢及び性別に配慮した支援を差別なく十分に提供し、かつ、彼らの社会的かつ経済的包摂を提供する
2.締約国は、核兵器あるいは核爆発装置の実験または使用に関連する活動の結果として汚染された、その管轄または支配下の地域に関し、汚染地域の環境改善に向けた必要かつ適切な措置を取る。
⑤禁止条約の発効の条件
 第72回国連総会の実質審議が開始される9月20日、すべての国連加盟国を対象に署名が開示され、議会による批准が50か国に達した段階から90日後に発効する。2017年11月27日現在、署名53(批准3)に止まっている。
 最近の国連総会では、核兵器禁止条約の署名・批准を呼びかける決議採択されたが、アメリカがアフリカ諸国などに調印拒否の圧力をかけるなどの妨害が明白になっている。早期の発行を考える上からは、我国をはじめ、各国国民からの突き上げが足りない。

8.核兵器は違法な存在であると「悪の烙印」を押した
 アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の5大国はNPT(核不拡散条約)によって核兵器保有を法的に保証されていた。これまで、核兵器は合法的な存在であった。ところが、核兵器禁止条約の成立によって、歴史上初めて明文上も違法な存在となったのである。
 核兵器は今や、不道徳であるだけでなく、条約に反するあらゆる活動が、国際社会の避難の対象となる。核兵器について破滅的な結末をもたらす非人道的な兵器であり、国連憲章、国際法、国際人道法、国際人権法に反するものであると断罪して、これに「悪の烙印」を押した。
 核兵器を違法とする法的規範が確立されたことによって、条約への山河を拒んでいる国も、政治的、道義的な拘束から免れることはできない。さらには、核大国の世界的規模での核戦略を誓約し、破たんさせる可能性もある。

9.核兵器は安全保障に必要か?
(1)核兵器は「抑止力」か?
 核兵器禁止条約が成立した現在でも、「核兵器は安全保障に必要」との立場に固執している国々、人々がいる。これらの人々は、「核兵器こそ抑止力」でありそれを保有することが安全保障になるというのである。抑止力とは、「もし攻撃を仕掛けてきたら、圧倒的な軍事力で報復して、徹底的なダメージを与えるぞ!」と脅迫し、敵の攻撃を「抑止」しようとするものである。このように「報復」「脅迫」「恐怖」で相手を支配しようとする考え方を「抑止力論」という。何よりも、核兵器こそが「抑止力」の名にふさわしいと考えているのである。
 「抑止力」は、相手の本拠地に壊滅的な打撃を与えられるような攻撃力であり、軍拡競争を激化させ、一触即発の緊張をもたらす。「抑止力」には、常に先制攻撃への誘惑がつきまとう。国際社会とわが国を緊張させている北朝鮮は、アメリカの「核抑止力」に対する「抑止力」として核兵器開発を進めてきた。圧倒的な軍事的優位こそが「抑止」を保証するという幻想に立っているのである。それは、際限のない軍拡競争であり、当該国だけでなく、人類の生存を壊滅的なものにする。
 「核兵器は安全保障にかかせない」という議論に対して、オーストリアの軍縮大使は2017年3月27日、次のように述べている。
 「もし、核兵器が本当に安全の保障を提供するうえで欠かせないのなら、どうしてすべての国家がこの利点を得てはならないのか?核兵器は世界をより安全にするという議論に従えば、より多くの国々がより多くの核兵器を持った方が良いということを意味することにならないだろうか?われわれはそういう議論を信じない。明らかに、核兵器が少ない方が、そして核兵器がない方が、われわれはより安全になるのだ。それのみが、誰をも、より安全にするのである。」
(2)「抑止力」より「外交力」を
 核兵器による「抑止力」論は、あくまで「報復力」であり、先制攻撃のための武力ではない。しかし、核兵器による「抑止力」という圧倒的な「攻撃力」を先制攻撃に使おうとする誘惑は常に存在する。「核兵器使用の非人道性」を何よりも雄弁に告発するものは、広島・長崎の被爆の実相に他ならない。広島・長崎の被爆の実相の前には、核兵器へのいかなる合理化も無力である。「核抑止力」論を打ち破る最大の力は、被爆の実相のっ更なる解明と普及である。
 「抑止力」=「報復」「脅迫」「恐怖」による戦争抑止という考え方との決別が求められている。国連憲章に基づく集団的安全保障と平和的国際秩序の確立を求め、日本国憲法の平和的生存権に立脚した「外交力」の発揮が日本政府に求められている。「核兵器のない世界」「基地のない沖縄」「日米軍事同盟からの脱却」のために、「抑止力」論という幻想を打破しなければならない。

10.世界の流れに背を向ける安倍政権 
(1)核の傘に固執
 94年から日本政府は、「核兵器究極廃絶」国連決議案を提案。非同盟諸国などの提出した核兵器廃絶決議には「棄権」してきた。今国連総会でも核兵器禁止条約の署名・批准を呼びかける決議採択に対して、核兵器国寄りの決議案提出で国際的批判を浴びている。北朝鮮の核開発・ミサイル開発の動きに対しても、外交不在、軍事一本槍の対応。そのうえ、政府与党内には、北朝鮮の「ミサイル発射」にたいして核武装論までもが論議され、北朝鮮のミサイル基地攻撃論まで出ている。
 「核の傘」に固執し、日米軍事共同態勢の強化とともに、北朝鮮問題の危機をあおり、あるいは口実にして、国民にJアラートによる避難訓練など、思想動員を図っている。日本自らの軍備強化、軍事費の拡大、海外行動使用の装備強化を進めている。これは戦争法の強行に続く集団的自衛権行使の具体化である。
(2)「核兵器のない世界」を喜べぬ唯一の被爆国
 核兵器禁止条約の実現目指す国連の会議から退席し、NGOから「あなたがそこに居て欲しい」と日本政府の代表席には折鶴が置かれた。安倍政権はアメリカの「核の傘」にすっぽりと入りながら、北朝鮮の核兵器開発は非難するという道理の無さ、矛盾した態度をとっている。安倍政権、与党内部からは核武装論、非核3原則の見直し論までが登場している。「核兵器禁止条約」の実現まで到達した世界の流れに完全に背を向けているのが安倍政権である。

11.一大国民運動で安倍政権に迫ろう
 国連で、7月に核兵器禁止条約が成立したのに続き、今年のノーベル平和賞は「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に授賞が決まった。「ヒバクシャ国際署名」515万4866筆が国連に提出された。ノーベル賞の「ICAN」は、「日本は核兵器禁止条約に署名・批准を」と訴えている。
朝鮮戦争での核兵器使用を阻止した「ストックホルム・アピール署名」の力、原水爆運動を誕生させたビキニ水爆実験被災事件による草の根の国民的署名運動の力は威力を発揮してきた。現在、国連本部のロビーには提出した日本原水協などの署名を展示するためにツインタワーが設置され、核軍縮におけるシンボルになっている。
核兵器禁止条約の実現へ国連、各国政府、自治体も動いている。162か国・地域7469都市、日本国内では1741都市中1691都市、兵庫県では全41市町長が加入する「平和首長会議」が次の取り組み、論議を行っている。
2020ビジョン=核兵器廃絶のための緊急行動を策定・実行中。核兵器の臨戦態勢の解除、2020年を目標とする全ての核兵器の解体。
核兵器禁止条約の第8条により、条約締約国でもない日本政府にも「締約国会議」の「招請状」は来る。国連と核兵器廃絶を要求する諸国政府、自治体(平和首長会議など)、市民社会(NGO)の共同を強め、禁止条約を調印・批准する政府をつくる事は被爆国の運動の国際的責務である。
『安倍9条改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名』(3000万署名)の国民世論で安倍政権追及、「ヒバクシャ国際署名」の国際世論で世界から孤立する安倍政権を追い詰める一大国民運動で安倍政権に迫ろう。市民と野党の共闘のすそ野を広げきるたたかいがカギになる。

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