くらし学際研究所は3月31日、神戸市立勤労会館で総会と月例の公開講演会を開いた。講師は立命館大学経済学部教授の中本悟氏で、
テーマは「TPPと日米経済関係」。中本氏は、大阪市立大学大学院教授を務められていましたが、ちょうど講演当日、立命館大学に着任され、多忙を縫ってのご講演でした。
以下の講演要旨は、中本氏の報告PPTを元に、伊藤国彦氏(兵庫県立大学経済学部教授)にお願いして、文章化していただいたものです。
1.TPP(Trans-Pacific Partnership Agreement)とは何か?
TPPの原型は、ブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポール間で2006年5月に発効した“Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement(通称「P4」)”である。2010年3月、上記4カ国にアメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナムを加えた8カ国でP4を発展させた“Trans‐Pacific Partnership Agreement(環太平洋連携協定、通称「TPP」)”の交渉を開始し、さらに同年10月にマレーシアも参加した。
そもそもTPPは、特定国間で締結する“Free Trade Agreement(FTA:自由貿易協定)”である。では、多国間貿易自由化協定を原則とするGATT(1947年)およびWTO協定(1994年)の枠組みの中で、なぜFTAが認められるのか。それは、多国間協定よりも広く、そして早く貿易自由化を進めるからである。
FTAでは、「実質上すべての貿易(substantially all the trade)」の関税撤廃が必要であるとされるが、WTO協定上の基準はなく、少なくとも貿易の9割(貿易量又は品目数)を10年以内に関税撤廃することが必要との解釈が一般的である。しかしながら、二国間協定であるFTAでは、特定当該国間で交渉によって貿易自由化の条件を決めることができる。
それに対して、TPPは以下の点で通常のFTAとは異なる。まず、特段の定めがない限り、協定発効日に各締約国は、相手国に対してすべての原産品の関税を撤廃することを義務づけられる。TPPが「例外なき」関税撤廃と言われる所以である。次に、関税以外の広範な経済取引や諸制度についての自由化と規制緩和も求められる。これがFTAと大きく異なる点で、いくつか列挙すると、市場アクセス/原産地規則/貿易円滑化/衛生植物検疫措置/貿易の技術的障壁/貿易保護/政府調達/知的財産権/競争政策/サービス(電気通信)/サービス(一時入国)/サービス(金融)/サービス(e-commerce)/投資/環境/労働制度的事項/紛争解決など実に幅広い。この点を理解しておくことは重要である。
もう一つTPP を理解する上で重要な点が、参加12カ国の経済規模や貿易依存度に関してである。日本とアメリカのGDP合計が12カ国合計の82%を占め、「TPP はまさに日米FTAだ!」と揶揄されるのである。その他に以下の4つを指摘することができる。第1に、TPP参加表明国のうち、カナダとメキシコはNAFTA(1994年)加盟国であり、対米貿易依存と自由化はすでにきわめて高い。第2に、他のTPP参加国は、経済的には小国、かつ外需依存が高いので、貿易によって立国する他はない。第3に、アメリカのTPP戦略は日本抜きでは成立しない。 しかし、日本がTPPに参加しないと「世界の孤児」になるわけではない。現実に、EUも中国も韓国も参加していない。第4に、日本にとってアジア域内貿易が最大の貿易である。「アジアの成長を取り込む」と言っても、中国、ASEAN、韓国が参加しないTPPでは「アジアの成長を取り込む」ことにはならない。したがって、日本の経済外交にとっては、アメリカの貿易戦略に乗るのではなく、ASEAN+3やAPEC、WTOを基本路線にすべきである。
2.アメリカの通商戦略とTPP
アメリカは、もともとは貿易の依存度が低い大陸国家であった。しかし、1970年代以降の貿易赤字の拡大とともに、貿易政策が重要となった。1980年代には、「自由貿易とは公正貿易(fair trade)」の流れが強まる。例えば、日米貿易摩擦におけるアメリカの主張は、日本が不公正な貿易を行っているというものであった。日本に限らず、アメリカは1980年代初期から、世界的規模で多様なアプローチをとって貿易自由化を求めるようになる。対象とする取引範囲も拡大し、農産物、サービス、知的財産権取引などを貿易自由化に取り込むようになった。
1993年は、アメリカの通商戦略にとってtriple playの年と言える。triple play とは、APEC初の非公式首脳会議の開催、NAFTAの議会批准、ウルグアイ・ラウンド交渉の実質妥結である。それらの成果は、1995年のWTO成立へつながって行くのである。しかし、その後2001年から始まったドーハ開発ラウンドの中止(工業品分野でアメリカとインド、ブラジルとの対立激化)、2004年にはNAFTAの南方拡大が失敗する。
そこで、2006年にブッシュ大統領は、アジア太平洋自由貿易圏構想(FTAAP)を提起し、新たな通商戦略を展開した。それに対して、ASEANは、2007年11月の首脳会議で、ASEAN経済共同体ブルー・プリントを採択し、2015年までに域内において全品目の関税を撤廃することに合意した。中国は、日中韓FTAを提起している。こうした中、2010年10月1日に菅元総理が所信表明で、突如TPP交渉参加検討を表明したのである。
現在のオバマ政権での通商政策はどのようなものであろうか。オバマ大統領は、「輸出倍増計画」としてTPPを位置づけている。その計画は、2010年1月一般教書演説で表明され、2009年~2014年までの5年間でアメリカの財・サービス貿易を倍増するというものである。その背景には、アメリカの高い失業率と中間層の解体・格差の拡大に対する米国民の強い不満がある。オバマ大統領は、雇用創出と格差是正を“made in America”の増強と輸出増加によって実現しようとしているのである。
また、アメリカの推進するTPPは、アジア太平洋において政治的・軍事的存在感を高める中国を抑制しようとする戦略でもある。
3.アメリカ経済と日米貿易の現状
若干の改善が見え始めたとは言え、アメリカ経済は厳しい状況にある。例えば、雇用状況は、今だ8%を超える高い失業率である。さらに、長期失業者(6ヶ月以上の失業者)が急増しており、失業が長期化している。所得階層別の所得の伸び率や中間層所得の占める割合のデータからは、高所得者がますます多くの所得を獲得して経済格差が拡大し、加えて中間層が崩壊してきているという状況が観察される。これらは、1980年代のレーガン以降の新自由主義に基づく自由化・規制緩和が原因である。
次に、日本の対米主要輸出品と輸入品、農業分野の日米格差、日本の農業出荷額の低下などのデータから日米貿易の現状や特徴が明らかとなる。TPPとの関連で、日米貿易の特徴的な性格を確認しておこう。第1に、アメリカは農業・サービス貿易大国であることが解る。米製造業企業もonly youサービス(ソフトウエア、ITサービス、メンテナンス)とonly one戦略(知的財産)を重視している。第2に、日本のコメは778%の関税率であるが、TPPでは確実に大打撃を受ける。日本の農業者人口は260万人で総人口の2.2%に過ぎないが、環境保全や食糧安保など農業を1つの公益事業として位置づけることが不可欠である。つまり、農民の問題としてではなく、日本全体の問題として捕らえるべきである。第3に、工業は今やglobal 生産企業によって担われている。global 企業は、しばしば“Run away corporation(逃亡企業)”化する。Adam Smithが生きた18世紀の時代のように、貿易自由化=諸国民の富の増加の時代ではない。第4に、サービス企業のほとんどは、現地拠点を設置して、サービス輸出をする。すなわち、投資の自由化と保護が貿易自由化の前提となったグローバル化時代と言える。それゆえ、ISDS(投資家対国家の紛争解決) といった内容までがTPPに含まれることになるのである。
4.TPPの評価
TPPの性格を知り、評価を下すために、まずアメリカが日本に迫る非関税障壁の一例を見てみよう。農業分野では、「牛肉輸入の全月齢を解禁せよ」、「農薬残留基準値を緩和せよ」、「遺伝子組み換えやポスト・ハーベストの表示義務を廃止せよ」、「食品添加物の認可をもっと増やせ」などを主張している。この一例に、TPPの性格を垣間見ることができる。より包括的にTPPの主な性格を列挙すれば、次のようになる。
1)グローバル企業による「水平な競技場」(plain field)を創出すること。つまり、貿易だけでなく、企業が自由に活動できる場をつくると言うことが目的なのである。これは、1997年に葬り去ったOECD主導のMAI(多国間投資協定)の大規模な再現に他ならない。
2)農産物、サービス、その他あらゆる国際取引を自由化すること。それを支える新自由主義。
3)アメリカのヘゲモニーによるアメリカのためのアジア太平洋圏戦略を実現すること。
以上を踏まえて、日本はTPPに参加する道しかないのであろうか。
私見では、TPPを超えて今後の日本の進むべき針路は、次の2点にあると考える。
1.地域経済の内発的な発展構想を支える地域民主主義とglobal企業のrun away corp.の社会的責任の追求。
2.脱工業化時代の先進国による成長戦略としての創造産業、創造経済、創造都市の構築。
1と2は密接に関連しているが、再び製造業の復活を目指しての再生は不可能であって、成長率の低い脱工業化社会に入った日本に必要とされる付加価値創出・雇用創出のあり方を追求すべきである。例えば、「環境に優しい」産業、新たなサービス業の育成といった政策が候補となろう。また、TPPに関して、投資を含めた貿易自由化も重大な問題を孕んでいるが、global企業に行動の完全な自由を与えるのか、それとも公益を考慮した社会的責任をまっとうする「秩序ある」行動を求めるのか。ここが、根本的な争点となろう。